天堂きりん『手のひらサイズ。』

手のひらサイズ。 (Feelコミックス)

手のひらサイズ。 (Feelコミックス)

(2011-01-27追記) この項も2010年ベストへのコメントの一項目であることに気付いたので、若干フォーマットを変えました。

プッタネスカの恋 (ダイヤモンドコミックス)

プッタネスカの恋 (ダイヤモンドコミックス)

性春のキズナ (MAX COMICS DX)

性春のキズナ (MAX COMICS DX)

天堂きりんは、秋田書店のTL誌(COMIC MIU/恋愛よみきりMAX)でマンガ家として歩き出した。刹那の快楽としてのセックスが退屈な日々に輝きを与えてくれました的な小咄を、少女マンガ的な絵柄で描くことが求められている世界で、人生の転機になる瞬間を青年マンガ的な絵柄で切り取ろうとして、セックスは行きがけの駄賃のように描く(あるいは尺が足りないので省略する)マンガが単行本化されるほど甘い世界ではない。だが、そのアウェイぶりを面白がった業界異端児の松文館・ガールズポップコレクション(『蜜室』裁判以来、松文館と警察当局の確執は根深く、このシリーズは終了前に12ヶ月連続有害図書指定という伝説を作った)から単行本化されたのが第一作『プッタネスカの恋』だった。その後、いくらかTLの流儀に沿って描いた作品集『性春のキズナ』は秋田書店から単行本化されたが、第一作ほどのインパクトはない。

恋愛アナグラム (Feelコミックス)

恋愛アナグラム (Feelコミックス)

おひさまのはぐ (Feelコミックス)

おひさまのはぐ (Feelコミックス)

むしろ、「本来の作風」であるアウェイぶりが彼女の次なる道を切り開くことになった。フィールヤング誌は90年代から00年代初頭にかけて、岡崎京子と「岡崎チルドレン」たちに全面的に依存した編集方針でヤングレディースコミックの王座をヤングユー誌と競ってきたが、このジャンルの衰退とともにこのスクールの作家たちの限界も明らかになってきた。そこで00年代後半から編集部が採用した方針は、BL/TL畑で才能を持て余している作家たちを大量にスカウトすることで、彼女はKUJIRA、やまがたさとみらと並んで見出された。そして生み出された中篇『恋愛アナグラム』は、小学生時代の人間関係(両親の離婚と、障碍を持つ級友との別れ)に起因する主人公の心の傷を通奏低音に、10年近い恋愛遍歴を簡潔ながら濃密に描いてきれいに着地させた秀作だったが、玄人筋での高い評価は一般的人気には結びつかなかった。次作『おひさまのはぐ』ではその経験を踏まえて、三角関係のような一般に理解されやすい筋書きに軌道修正したが、玄人受けにも一般受けにも中途半端な地点に落ち着いてしまった。

手のひらサイズ。 (Feelコミックス)

手のひらサイズ。 (Feelコミックス)

新ジャンルでの手探りでは尖鋭な作品を生み出す反面、慣れは熟練芸よりも中庸化につながりがちな彼女は、やはり新ジャンルへの挑戦で輝くとあらためて感じさせてくれたのが、新作『手のひらサイズ。』だった。『おひさまのはぐ』は僧侶と保育士のカップルという設定にもかかわらず子供の描写が少なかったが、今回は小学生姉弟を主人公にして子供の世界をたっぷり描いた。子供は独自の世界のルールを持っているが、それは決して大人の世界と異次元ではない、というバランス感覚を保って子供と大人を共に描ける作家は決して多くない。むしろ、諸星大二郎「子供の遊び」をひとつの頂点とする、「子供と大人は別の生き物」という姿勢や、さそうあきら森下裕美の諸作品に現れている、両者のルールに本質的な違いはない(往々にして大人の方が幼い)、という姿勢の方がスタンダードなのではないか。近年の作品では私屋カヲルこどものじかん』が、トリッキーな設定を通じてなんとか子供と大人のルールを同次元で描いているが、思えば入江紀子はこの世界観の名手だった。初期代表作『のら』の瑞々しさを失ってからも、入江は子供と大人の多様な関係の描写を通じて第一線に留まり続けた。そんな彼女が『ごめん。』収録作品でついに子供を「保護すべき対象」として描いた時、作家としての歯車は止まってしまったのは故なきことはない。
神童 (1) (双葉文庫―名作シリーズ)

神童 (1) (双葉文庫―名作シリーズ)

大阪ハムレット (1) (ACTION COMICS)

大阪ハムレット (1) (ACTION COMICS)

こどものじかん 1 (アクションコミックス)

こどものじかん 1 (アクションコミックス)

のら (1) (アスペクトコミックス)

のら (1) (アスペクトコミックス)

ごめん。(ジュールコミックス)

ごめん。(ジュールコミックス)

このblogはすぐ老人の思い出話モードになりがちだが、この天堂作品は、子供/大人の多様な描写の可能性を久々に思い出させてくれた。特に、大阪を舞台にしてもこのような描写が可能だということは、森下裕美大阪ハムレット』が放つ強烈なメッセージ:「子供の世界とか東京モンの妄想や、大人も子供もゼニの下では平等や!」へのアンチテーゼとして興味深い。作者もあとがきで、自分にとって大切な作品であり、いつか続篇を描いてみたいと述べている。主人公姉弟とその友人たち、母とその同僚たちのキャラも立っており、1巻で終えてしまうのはあまりにもったいない。ただし、数100mごとに街の雰囲気が変わる、極めてローカルなコミュニティの集合体である大阪を舞台にしながら、場所が特定しづらい描写になっているのが惜しまれる(風景から推測すると、大阪城公園と鶴橋の間あたりだが)。そのあたりの設定を練り込んでから再開ということなら歓迎したい。

手のひらサイズ。 (Feelコミックス)

手のひらサイズ。 (Feelコミックス)