吉田秋生『海街diary』

海街diary: 陽のあたる坂道 (3) (フラワーコミックス)

海街diary: 陽のあたる坂道 (3) (フラワーコミックス)

現在、マンガランキングでこの作品を挙げると、「今さら?」という反応になってしまうかもしれない。この作品は第1巻が発売された2007年時点で既に、各種ランキングで高く評価されていた。『このマンガがすごい!』オンナ編では『君に届け』に続く僅差の2位、同年の『このマンガを読め!』では、『すごい!』オトコ編1位の『ハチワンダイバー』をも寄せ付けないぶっちぎりの1位。ただし拙速とも言える評価には、「マンガ読みならそうせずにはいられなかった」事情がある。

Banana fish (1) (小学館文庫)

Banana fish (1) (小学館文庫)

Banana fish (11) (小学館文庫)

Banana fish (11) (小学館文庫)

Banana fish another story (小学館文庫)

Banana fish another story (小学館文庫)

30年を超える吉田のキャリアの中で、好き嫌いは措いて『BANANA FISH』が「特別な作品」であることは誰しもが認めるところだろう。1994年の連載終了はクオリティペーパーが横並びで社会面で取り上げる「事件」になったが、これは空前絶後の出来事だった。この作品の前にも後にも、社会現象として記憶されるブームになった作品や、この作品をはるかに超える売り上げを記録した作品は少なくないが、このような扱いを受けた創作物はマンガに限らずとも存在しない。ましてや当時は、マンガの新作が定期的に文化欄で取り上げられることも、文化庁メディア芸術祭手塚治虫文化賞という形で公的に顕彰されることもなかった時代である。

YASHA〔文庫版〕  6・完 (小学館文庫)

YASHA〔文庫版〕 6・完 (小学館文庫)

愛蔵版 デビルマン (KCデラックス)

愛蔵版 デビルマン (KCデラックス)

唯一のヒット作の続篇や焼き直しを延々と描き続けて喰い繋ぐマンガ家は少なくない。吉田はその括りには属さないことは言うまでもないが、『YASHA』『イヴの眠り』と続く長篇連載を読んでいるうちに、不安がこみ上げてくる。吉田ほどの作家にとっても、『BANANA FISH』は身の丈を超えた作品で、その魔力に取り込まれてしまったのではないかと。永井豪という先例があるだけになおさら。デビュー以来の永井の勢いがそのまま続いていれば、日本のマンガの歴史は彼を中心とするものに書き換えられていたに違いない。だが彼は、『デビルマン』を描いてしまった。この作品は「永井が描かなくてもいずれ誰かが…」というような取り替え可能なものではないことは明らかだが、それ以降の彼は、この作品に使役されて外伝や注釈を描き続けるデーモンと化してしまった。

ラヴァーズ・キス (小学館文庫)

ラヴァーズ・キス (小学館文庫)

天然コケッコー (9) (集英社文庫―コミック版)

天然コケッコー (9) (集英社文庫―コミック版)

α アルファ(上) (α アルファ) (YOUNG YOUコミックス)

α アルファ(上) (α アルファ) (YOUNG YOUコミックス)

α 下   YOUNG YOUコミックス

α 下 YOUNG YOUコミックス

だが吉田は『BANANA FISH』執筆の傍ら、彼女の創作歴の中でも特に凝縮された傑作『ラヴァーズ・キス』の構想を練っていた。かつて経験のない長篇を描いていると、正反対の練り込まれた中篇を描きたくなるのは、創造者の性なのだろう。くらもちふさこもその後、『天然コケッコー』完結の直後に『α』を描いている。鎌倉を舞台に、青春の一瞬の煌めきを3つの視点から繰り返し切り取った『ラヴァーズ・キス』。物語依存症の日本マンガ界(そこでは、くらもちふさこ構造主義が正当に評価されることは決してないだろう)へのアンチテーゼともみなせる、「文体こそ本質」のこの作品の2次創作という形で、『海街diary』は始まった。吉田がついに『BANANA FISH』の呪いから解放された! という想いがこの作品への拙速な評価の正体だろう。だが、この評価は果たして『ラヴァーズ・キス』の達成を受けとめた上でのものなのだろうか?

海街diary 1 蝉時雨のやむ頃

海街diary 1 蝉時雨のやむ頃

海街diary(うみまちダイアリー)2 真昼の月(フラワーコミックス)

海街diary(うみまちダイアリー)2 真昼の月(フラワーコミックス)

カリフォルニア物語 (4) (小学館文庫)

カリフォルニア物語 (4) (小学館文庫)

ご祝儀抜きで読み返すと、1巻《蝉時雨のやむ頃》は、鎌倉を舞台としない表題作以外は、『ラヴァーズ・キス』の庇を借りすぎているのではないか。2巻《真昼の月》になると独自の色が出始めるが、この巻はあまりに「すずちゃんとゆかいな仲間たち」に終始し、四姉妹設定が活かされていないのではないか。結局、オールドスクール少女マンガへのノスタルジーと切り離し、今日のマンガとして積極的に評価できるのは3巻《陽のあたる坂道》から、ということになる。実際、この巻に至って作中でも1年間が過ぎ、吉田作品としても新しい次元に入った。まず、これだけの時間が作中で経過したのは、出世作『カリフォルニア物語』以来である。あれだけの出来事が起こった『BANANA FISH』ですら、実時間では数ヶ月にすぎない。また、いかなるカタストロフィを迎えようとも、感情の決着はその場でつけるのが吉田作品の基本原理だったが、ここに至って初めて、「歳月が解決してくれることもある」と登場人物が受け入れるようになった。時が過ぎれば人の心は移り、驚くほど状況も変わる。これは決して無責任な「問題の先送り」ではない。作劇としての「登場人物の成長」ではなく、作家としての成熟が作品に投影された結果である。
海街diary: 陽のあたる坂道 (3) (フラワーコミックス)

海街diary: 陽のあたる坂道 (3) (フラワーコミックス)